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アガサ・クリスティーの作品を読むのはこれが初めて [偽善者の日記]


『春にして君を離れて』は怖い小説だ。嫌な小説だ。それでいて面白い。
 自分は我が強い割に人からどう見られているか気にするところがある、と思う人にはこの本はすすめられない。一方でそんな人は、この小説をより深く堪能できるのではないかとも思う。

 主人公は中年の女性。
 主たる舞台は中東。
 周りには砂漠しかない宿泊施設に交通事情で足止めされた主人公。

 作者はアガサ・クリスティー。
 けれど殺人はない。名探偵もいない。

 満たされていたと思っていた人生への疑問。
 徐々に心の闇に浸食されていく主人公。 

 最後に主人公が発する一言までの心の移ろいが絶妙としか言いようがない。
 心はいつでも素直で移ろいやすく安易なところに落ち着く。 

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)




この一票の行方 [偽善者の日記]

 この週末、私が住んでいる街の市長選が行われる。出馬は3名。
 3期目を目指す現職と、現職の進める箱物に異を唱える新人達。3期目を集大成と位置づける現職と政治改革の必要性を訴える新人達。ありがちすぎるシチュエーションに投票意欲が上がらない。
 とはいえ投票と子育ては私の義務。モチベーションを上げていく必要がある。
 新聞の地域情報に載った新人の、略歴からのアピールはなかなかだ。「50代から自転車旅行にはまり、65歳のときにはトルコからポルトガルまでを97日間で走破。だから体力には自信がある」らしい。実務経験の無さを強引なこじつけで乗り切るのは、就活でも常套手段であろう。市長に一芸枠はないが私の一票にはある。

真央ちゃん応援してます [偽善者の日記]

 このところ子供を連れての外出は近所の公園ばかり。若干の後ろめたさを感じていたところ、車で30分ほどの所にスケート場があることを知った。
 フィギュアスケートがテレビで放映される日は、親子で応援していたので子供たちも興味があるはず。長女を誘ってみた。

「スケートをしに行こうよ。スケートってわかるよね?」
「ええっ!真央ちゃんやってるやつだよね」娘は興奮した表情で応える。
「そう、あの包丁の刃みたいのがついた靴で氷の上を滑るやつ」
 娘は既に理解しているのに不要なたとえで追従する私。
「やりたい!」両足で跳ねながら娘が訴える。

 話は決まった。
 スピンのまねごとを始めた娘を横目に、手袋と着替えとその他のお出かけセットを用意。準備万端整ったところで、娘を見るとなんだモジモジしている。

「どうした?トイレ?」
「違う!」
「じゃあ何?」
「恥ずかしいなって・・・」
「何が恥ずかしいの?」
「だってみんな見てるでしょ」
「最初は誰だって滑れないんだから、転んだって恥ずかしがることじゃないよ。それにみんな自分のことでいっぱいで、人のことなんて見てないから。
 滑りたくないの?」
「滑りたい!」
「じゃあ出発!」
 玄関に向かおうとすると娘が立ち止まった。
「服は?」
「そのままで大丈夫だよ。濡れても着替えもあるし」
「ヒラヒラのかわいいスカートも持った?」
「んっ?あっ、そういうこと」

タングルウッドの奇跡 [偽善者の日記]

 グラミー賞の最優秀クラシック・コンペディアム賞を受賞した五嶋みどりさんの過去のエピソードが、東京新聞コラムに載っていた。

~ ▼一九八六年七月、米東部、タングルウッド音楽祭でボストン交響楽団と共演した。曲は作曲者でもあるレナード・バーンスタインさんが指揮する「セレナード」。演奏中、五嶋さんのバイオリンのE弦がぷつんと切れた。どうするか。五嶋さんは平然とコンサートマスターにバイオリンを借り、弾き続けた▼他人の楽器。五嶋さんには大きい。それでも弾くが、試練は続く。その弦もまた切れてしまう。別の演奏者にもう一丁借りてなお続ける。演奏を終える。待っていたのは何があろうと演奏を止めなかった勇気に対する拍手と大歓声だった ~』 東京新聞 2014年1月28日

 その場面を想像してちょっと目頭が熱くなった。
 実際の状況を見てみたいと思いYouTubeで探す。やっぱりあるよね。
 記事では試練を乗り越えたような扱いだったが、私に見えたのは、より良い演奏を続けたいという求道者的な少女の姿だった。軽いタッチで説明するとこんな感じ。

  世界的な指揮者とオーケストラとの共演で高揚感を得ながら演奏
   ↓
  弦が切れる
   ↓
  もっと弾き続けたい!
   ↓
  借りちゃえ
   ↓
  また、弦が切れる
   ↓
  最後まで引き続けたい!!
   ↓
  もう一挺借りちゃえ!というより早く貸して!!

 実際はどうだったんだろうなぁ・・・
 
 あと、もう一つ思ったことがある。30年近く前の映像が大した努力もなしに見ることができる、とんでもなくありがたい世の中になったなぁ・・・

気持ちを切り替える出来事はそこかしこにある [偽善者の日記]

 ぎゅうぎゅう詰めだった車内が、東京駅での降車で少し余裕ができた。その時、爽やかなとても薄い水色が目に飛び込んできた。それは素人目にも品の良さがわかるニットジャケットだった。私より少し背が高く、がっしりした体格にそのジャケットは不釣り合いな気がした。顔を覗くと見覚えがある顔。

あっ!ニットの貴公子だ!

 車内での身動きがとれるようになり、貴公子は私の後ろの手すりに掴まりにきた。降車の人のために一端降りた人と東京駅からの乗車の人が押し寄せてきた。なすがままに押されると背中が貴公子とぴったり合った。ニット越しに伝わる体温と息づかい。なんだかドキドキしてきた。
「ニットの貴公子ですよね」仮に声を掛けたとして次に続く言葉はない。私にとっての貴公子は数年前にテレビで見ただけの存在。更に私の趣味の範疇にニットはない。
 そんな貴公子を一目で思い出したのは、以前教育テレビ(今はEテレっていうんだっけ?)の趣味系の番組で見かけたときの印象が強かったから。ちらっと見た番組が気になって複数回見てしまったのは、画面から伝わる人柄の良さとニットについて語るときの表情に愛が溢れていたから。たとえそれが自分の興味の対象とは離れていても、物作りに情熱を傾け続けている人はとても魅力的だ。

 表情のない朝、ともすれば人混みに埋もれてしまいがちな日常の中で、貴公子とのひとときが私の背筋を少し伸ばした。電車から降り職場に向かう足取りはいつもより軽かった。


左手に抱えたちっちゃなおっさんを笑い飛ばしながら共に進む [偽善者の日記]

 どこで仕入れたのかすっかり忘れてしまったのだけれど「電話帳に登録されている名前に敬称を付けるといろんなことが上手くいく」というハウツーを思い出した。数年前に知った時はしっくりこなくて、年上の数名にだけ"さん"を付けて試したつもりでいた。
 大学の先輩にメールを出そうとして、先輩の名前を氏名のみで登録していることに違和感を覚え、そのことを思い出した。なんであの時、数名でやめてしまったんだっけ?と思いながら先輩の名前の後ろに"さん"を追加した。折角だからこの機会に全員の名前に敬称を付けちゃえと順に編集を開始。

 ある名前で機械的に行っていた作業が止まった。そうだ、前もこの名前で編集を止めたのだ。当時、あまり好ましくない出来事がその人との間に起きた(同じようなことが誰かの身に起きて、そのことを私に話してきたら「ちっちゃいなぁ自分」と関西風に一笑に付すようなことだ)。まだその熱が下げきらない時に敬称付けを行おうとして止まってしまったのだ。漢字の集まりにしか過ぎないその人の氏名の後ろに"さん"を付けるだけなのに。
 忘れていたわだかまりを思い出した上で、その人の氏名に"さん"を付けた。大げさに言ってしまえば一つの禊ぎが終わった瞬間だ。その後も何人か敬称付けをするべきか迷ったけれど、迷いつつ全員に付けることを選んだ。

 全員に敬称を付け終えて、このハウツーの自分にとっての意味が分かった。それは、ちっちゃな自尊心を守るために使っていた労力を解放することだった。
 ディスプレイに表示される敬称付きの名前が、自分のちっちゃさを受け入れた証のようだ。


親子の関係を深めるチャンス [偽善者の日記]

 父から電話があった。
「おうっ!お前は、ヒートテックの下着は持っているのか?」
 何を唐突に言い出すんだ、とは思ったが別の話の前ぶりみたいなものだろう。適当に話を合わせておこう。いやいや待てよ。以前着ていたジャケットを褒めていたら、お前にやると言い出して、サイズの全く合わないジャケットを押しつけられたこともあった。着れないジャケットも迷惑だが、使い古しの下着はもっと迷惑だ。万全の注意を払ったほうが良さそうだ。
「持ってるけど、あれって寒い日に着ても言うほど温かくないよ」
「そうだろ。でもな、二枚重ねると温かいぞ」
「なるほどね。今度やってみるよ」
 そこで会話が途切れた。もしかしたら切り出しづらい話があるのかもしれない。
 これまで病気らしい病気をしたことのなかった父が、去年二度の入院を経験した。それぞれ簡易な処置と数日間の安静だけで退院はしたが、二度目の入院時には、数ヶ月以内に手術をするよう注意を受けていた。そのまま年を越してしまったがもしかしたら・・・

「で、今日は何の話?」
「んっ?ヒートテックは二枚重ねると温かいぞ」
「それだけ?」
「それだけだ。じゃあな」
「うん」

 父さん、元気そうで良かったよ。

奇跡の二葉 [偽善者の日記]

 我が家にはリビングキッチントイレの3ヶ所に神棚が祀ってある。
 神仏には特に思い入れもなかったが、結婚をする時に「神棚を祀る」という約束を義母とした手前、毎日給仕をしてる。日々の給仕として水を供え、灯明をあげる。ついでに榊の水も取り替える。
 榊は生命力が強く、水を替えなくても数週間はその緑を保つ。大晦日に新年を迎える準備として全ての神棚の榊を取り替えた。
 で、今のトイレの榊の状態がこちら
sakaki.JPG

 替えた当初はこんな感じ
sakaki3.jpg

 本当はこんな感じ
sakaki2.JPG

 3週間でえらい減ってるやんと思った?
 実はトイレの榊は2011年の大晦日に取り替えたもの。写真の二葉は1年以上も枯れずに残っている。3ヶ所の神棚の榊の水を替えるときに、枯れた葉や枝を捨てて、それぞれが減ってきたところで残った榊をトイレにまとめ、リビングとキッチンには新しい榊を供えた。
 なぜか新しく取り替えた榊のほうがどんどん減って、今度はそれをキッチンにまとめ、リビングのみ新しい榊を供えた。そんなことを繰り返して、トイレの榊は当初の榊だけにしておいたら、徐々に葉っぱを減らしながらも、春を過ぎ、夏を越え、秋を通り抜け、写真の二葉は新しい年を迎えてしまった。

 毎日の献身的な給仕が奇跡を起こしたのか?はたまた妻が時々似たような榊に取り替えて、私の反応を楽しんでいるのか?二葉の行く末にその答えが待っているに違いない!

 ※
 調べたら榊は毎月1日と15日の2回取り替えるのが習わしのようです。

気分良く過ごす一日 [偽善者の日記]

 一日良い気分で過ごそうと決める。

 朝の準備も整わないうちから、子供たちが「おんぶ、だっこ、絵を描いて」と責め立てる。
 平日、子供たちと過ごせるのは朝ぐらいだ。そんなことで喜ぶならおやすいご用だ。最近は寝癖とくせっ毛の境界もあいまいだ。セットの必要もないだろう。 

 通勤中、電車が揺れヒールで足を踏まれる。踏んだ当人は謝りもせず知らんぷり。
 不愉快に思うことはない。その人には極めて些細なことでしかないのだ。幸いこちらも怪我はしていない。

 職場の席に着くと急な依頼が舞い込む。用件をまとめようとしたところに前日の仕事の確認が入る。傍らで立ち上げたメーラーにも複数のメール。
 慌てることはない、結局は一つずつこなしていくだけのことだ。全て片づいてしまったらここでの仕事も終了だ。

 昼食、お弁当を食べようといつもの場所へ。スペースが全て埋まっている。
 たまには新しい場所で食べるのも良い。

 帰り際に打ち合わせが入る。
 バタバタはしたがそれほど難しい内容ではない。作業は明日にすれば良い。

 帰りの電車が事故で遅れている。
 読みかけの本を一気に読み終えるチャンスだ。

 家に着くと電気は消えみんな寝ている。
 寝るまでの時間を一人ゆったりと過ごせる。たまには静かな夜も良い。

 自分もいい大人だ。自分の気分くらい自分で選ぶ。明日も気分良く過ごそう。



順調に遅れています [偽善者の日記]

 みやざき中央新聞の9月3日(月)2474号に北海道浦河町の『べてるまつり』というイベントの紹介が載っている。精神に障害がある人達が集うイベントはスケジュール通りに進まないこともある。そのことに対して「これがべてるです。順調に遅れていますね」という『べてるまつり』のあり方を端的に伝える参加者の言葉で記事は締めくくられている。
 「順調に遅れている」矛盾をはらみながらもほっとする不思議な雰囲気をもった表現だ。日常生活で使いこなせるようになりたい。

・シーン1
「パキさん、木曜リリースの件大丈夫?」
「はい、順調に遅れています」
「はあっ?」
客先で使ったら未知の領域に突入しそうだ。

・シーン2
「朝、頼んだ買い物は?」
「順調に遅れているよ」
「ふざけないで!忘れたなら忘れたって言いなさいよ」
誤用は家庭不和の要因になる。

 おかしい。出会ったときの清涼な風が感じられない。当事者としての責任がある場面での使用は暴風域でビニール傘を開いたようなインパクトが発生しそうだ。そんな危険な言葉を易々と使える『べてるまつり』はファンタジーなのだろうか?いやいや状況を冷静な視線で見つめながらやさしい気持ちとユーモアを失わないとき「順調に遅れている」という表現に血が通い始める。心の持ち方として、時間に追われるように過ごす私の一歩も二歩も先をいく目指すべきモデルに違いない!
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